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合気道の遺産

以下に、私たちの組織に深い影響を与えた最も影響力のある師範のプロフィールを紹介します。彼らの献身と教育が、多くの合気道の実践者たちの道を形作り、豊かにしてきました。ここでは、これらの師範の生涯の物語、業績、そして合気道コミュニティに与えた持続的な影響を知ることができます。
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Legado_Yamada

山田嘉光

八段師範
1938年2月17日 - 2023年1月15日

1938年2月17日に東京で生まれた山田嘉光は、合気道の修行者である従兄弟の阿部正(Tadashi Abe)の影響を受けました。第二次世界大戦中に韓国に移住し、その後日本に戻った後、18歳で本部道場に入門しました。それまで武道の訓練を受けたことがなかったにもかかわらずです。

山田は植芝盛平(Morihei Ueshiba)や他の著名な指導者の下で訓練を受け、厳しい条件と厳しいスケジュールに耐えました。この訓練によって、田村信喜(Nabuyoshi Tamura)や有川定輝(Sadateru Arikawa)などの同僚内弟子(uchi-deshi)との強い絆が築かれました。

1964年、山田は合気道を広めるためにニューヨークに派遣されました。財政的な困難やビザの問題など、重大な課題に直面しましたが、これらの障害にもかかわらず、ニューヨーク合気会(New York Aikikai)を設立し、東海岸全体に合気道を広める上で重要な役割を果たしました。彼の献身は1968年にアメリカ合気道連盟(United States Aikido Federation)の設立につながりました。

山田の合気道へのコミットメントは彼を世界中に導き、教えと普及に尽力しました。1992年には、杉野正一(Seichi Sugano)をニューヨーク合気会に招待し、O-先生(O-Sensei)の直弟子が2人同時に指導するというユニークな地位を確立しました。

山田嘉光は2023年1月15日に亡くなりました。彼の遺産は、彼がインスピレーションを与えた無数の学生と、世界中の合気道コミュニティに与えた深い影響を通じて生き続けています。

千葉和雄

八段師範
1940年2月5日 - 2015年6月5日

1940年生まれ。千葉先生は1958年に本部道場の内弟子となりました。

1966年にイギリスに移住し、イギリスおよびヨーロッパにおける合気道の発展に重要な役割を果たしました。1975年に日本に戻り、本部道場の国際部長を務め、国際合気道連盟の副事務局長に就任しました。

1981年にアメリカに移住し、サンディエゴ合気会の主任指導者となりました。ビランカイ・インターナショナルの教育委員会の会長、イギリス合気会の技術ディレクター、鉄甲会居合道研究所の技術ディレクターとしても活動しました。

千葉先生は2015年6月5日に亡くなりました。

Legado_Chiba
Legado_Chiba

千葉和雄

八段師範
1940年2月5日 - 2015年6月5日

1940年生まれ。千葉先生は1958年に本部道場の内弟子となりました。

1966年にイギリスに移住し、イギリスおよびヨーロッパにおける合気道の発展に重要な役割を果たしました。1975年に日本に戻り、本部道場の国際部長を務め、国際合気道連盟の副事務局長に就任しました。

1981年にアメリカに移住し、サンディエゴ合気会の主任指導者となりました。ビランカイ・インターナショナルの教育委員会の会長、イギリス合気会の技術ディレクター、鉄甲会居合道研究所の技術ディレクターとしても活動しました。

千葉先生は2015年6月5日に亡くなりました。

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金井満也

八段師範
1939年4月15日 - 2004年3月28日

ニューイングランド合気会の主任指導者(1966年~2004年)

1938年生まれの金井先生は、1958年に本部道場の内弟子として合気会に入門しました。

1966年にアメリカに渡り、ニューイングランド合気会を設立しました。アメリカとカナダにおける合気道の初期発展において重要な役割を果たしました。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、そしてラテンアメリカでセミナーを開催しました。

USAFとCAFの創設者の一人であり、技術ディレクターを務めました。

金井先生は2004年3月28日に亡くなりました。

菅野誠一

八段師範
1939年12月17日 - 2010年8月29日

主任指導者 – ニューヨーク合気会;技術ディレクター – オーストラリアおよびベルギー

1939年生まれの菅野先生は、1957年頃に合気会に入門し、約1年後に内弟子となりました。

1965年にオーストラリアに移住し、合気道を教えました。オーストラリアとニュージーランドにおける合気道の普及の先駆者となり、1979年にはヨーロッパで教えるためにベルギーに移りました。

90年代には、山田先生の招待を受けてニューヨーク合気会で教えるためにアメリカに移住し、創始者の2人の弟子が同時に教える唯一の道場で指導にあたりました。オーストラリアとベルギーの合気道組織を指導し続け、世界中で合気道のセミナーを開催しました。2010年に亡くなるまで、世界中で合気道の普及に努めました。

Legado_Sugano
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菅野誠一

八段師範
1939年12月17日 - 2010年8月29日

主任指導者 – ニューヨーク合気会;技術ディレクター – オーストラリアおよびベルギー

1939年生まれの菅野先生は、1957年頃に合気会に入門し、約1年後に内弟子となりました。

1965年にオーストラリアに移住し、合気道を教えました。オーストラリアとニュージーランドにおける合気道の普及の先駆者となり、1979年にはヨーロッパで教えるためにベルギーに移りました。

90年代には、山田先生の招待を受けてニューヨーク合気会で教えるためにアメリカに移住し、創始者の2人の弟子が同時に教える唯一の道場で指導にあたりました。オーストラリアとベルギーの合気道組織を指導し続け、世界中で合気道のセミナーを開催しました。2010年に亡くなるまで、世界中で合気道の普及に努めました。

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田村信喜

八段師範
1933年3月2日 - 2010年7月9日

フランス合気道・武道連盟の理事

1933年生まれの田村先生は、1953年に合気会の内弟子となりました。大先生のお気に入りの受けとして、多くのデモンストレーションに同行し、1961年には大先生の唯一のアメリカ訪問でハワイに同行しました。

1964年に合気会の公式代表としてフランスのマルセイユに移住しました。西ヨーロッパと東ヨーロッパの合気道の急速な成長に大きな影響を与えました。

多くの国や欧州の連盟で合気道の技術ディレクターを務め、国際合気道連盟の初期の高等評議会のメンバーでした。2010年に亡くなるまで、世界中でセミナーを開催し続けました。